「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」について

1、最初に

 この記事はアニメ全話+多少のネットサーフィンで手に入れた原作の知識で書かれている。当然ネタバレが含まれているし、原作は読んでいないので不正確な部分があるかもしれない。

 

2、アニメの概要と原作での補完

 終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?のアニメは最終話、クトリが完全に赤髪になり(どうやらクトリとしての人格を失うらしい)、生命反応が二つ、クトリは生まれ変わったらしい…。というところで終わっている。

 正直何もわからなかったので調べたところ、どうやらクトリは最終話で死んでおり、二つの生命反応はネフレンとヴィレムのものであるそうだ。ちなみにクトリはこの後原作で遺体が妖精倉庫に届くそうであり、死亡が確定している。

 

3、自分の趣味について

 ここで一旦自分の趣味というか性癖について断っておきたい。私は女の子が不幸になるアニメが大嫌いであるし、死ぬなんてもってのほかであると思っている。何らかの必然性があって、しかるべき事情があって、そうして稀に死んでしまうのは仕方ない。しかし、本当にその死は必要なのか?と問いたくなるような、軽々しいヒロインの死に対しては憤りを抑えられない。なぜならフィクションであっても、キャラクターは生きているからである。

 

4、この作品における「幸せ」について

 クトリは最終話で「だからきっと、今の私は、誰がなんと言おうと・・・。世界一幸せな女の子だ!」と言っている。

 んなわけあるかボケ。好きな男と結婚してイチャコラ楽しく過ごすのが幸せだろう。ちょっと男と仲良くなっただけで人格奪われて自爆して死ぬののどこが幸せなんだよ。

 しかし、この作品内で何度か触れられ、最終話でもたっぷり時間を掛けて語られるように、「幸せとは、他の誰かが決めるものではない」らしい。いやそうかもしれんけど。どう見ても不幸な終わり方した女の子に幸せだよって言わせて死なせる、それが血の通った人間のすることだろうか。

 

5、第二部を見据えた観点

 以上、最終話を見て作品というより作者を叩くような怒りとか憤りに駆られていた。しかし、クトリが前世の人格に乗っ取られた点、アイセアが人格を乗っ取った側の人格であるという点を考慮すれば、クトリの人格が生まれ変わった先にごっそり存在するという展開を持ってくるのかもしれない。この作品はそういった輪廻転生に主眼を置いていて、そのためにクトリの遺体を出すなどという浅ましいストーリーを書いたのかもしれない。そう考えるとやや落ち着きを取り戻すことができた。

 

6、まとめ

 アニメを見る前からクトリが幸せになれないことは察していたが、私は最後まで彼女が救われる可能性を期待して最終話まで見てしまった。全体としてよくできていたし、女の子はみんな可愛いし、声優陣も好きで、素晴らしいアニメだったと思う。何より、12話掛けてどんどん破滅に向かっていく雰囲気、クトリの赤髪が増えていくこと、そういった演出は非常に感動的だったと思う。

 けれど私は、女の子の救われる作品が読みたい。だから第二部で何らかの救いがクトリにもあることを信じて、原作を読みはじめようと思う。

 私は、この作者に完全に敗北したのだ。

 

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